もりのくまの”M's Grab Bag”が「くまの雑記帳」で再出発。観劇記録、コンサートの記録、おいしいもの記録が中心の雑記帳です。


by a_bear_in_woods
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31

『二都物語』@帝国劇場 8月8日マチネ

2回目、かつMy 楽を早々に迎えてしまいました。
そしてそれからあっという間に2週間が~~~~~

8月はゆっくり過ぎるはずだったのになぁ(そんなことがかつて一度でもあっただろうか(汗))




しかし、二度見てもやっぱり涙ので始めるところは一緒でした。
シドニーがチャールズとの入れ替わりが可能であることに気がつき、それを実行に移す決心をしたのち、自分が代わりに命を落とすことになるとは告げずに、銀行家ロリーに手筈を伝えるシーン。あそこがどうしてもウルウルきます。
その後にも、畳みかけるように笑いを誘うシーンがあって、特に、チャールズのというよりは浦井君のまねをするシドニーというか、芳雄くんには2回目でやっと気がついたけど、おかしすぎます!!

そしてチャールズの浦井君はなんともあの世間知らずの無邪気な元貴族が似合ってます(笑)。

すみれさんのルーシーもなんとも不思議な浮世離れした空気がなんだかうまくはまってた感じです。
(周りがベテランさんぞろいなので、色々と思うところもありますが、彼女の年齢と経験を考えたら、先に期待する方が建設的でしょう。)


今回は、舞台の新しい楽しみ方を一つ覚えた気がします。

誰かの解釈を通してその物語への新しい見方を教えてもらったり、自分では気がつけなかった意味を見つけたりといった発見と楽しみの多い作品でした。

銀行家ロリーの雑役係兼用心棒でそして墓泥棒(舞台では蘇り請負屋なんて名乗ってますが)のクランチャーなんて特に、なぜこんなにも中心的に扱われているのだろう?と原作を読んでいる時には理解できなかったのだけど(ただ、彼の生き方が「奥さんが自分を陥れるために毎日膝まついて祈っている」と怒り狂う日々から、シドニーの行動を目の当たりにして神に祈ることの大切さなどに気がつき、物語の後に彼の生き方が大いに変わったのだろう、っていう『影響』という意味での存在は判ったけど。)、舞台の中での墓盗人を「よみがえり請負」としたことで、死んだ者が所持していてももうすでに役に立たないもの、たとえば懐中時計などを墓から掘り起こし、生きている人間が有効に使う、そうすることで「蘇る」のだ、というメタファーがしっかりと伝わってきた。


ただ、呼吸をして、心臓が動いている生物学的な“生”が生きていることではなく、たとえそれが止まってしまったとしても、誰かにとって有益な何かとして残っていること、今回は直接的にルーシーと小さいルーシーに大切な家族を返すことだけれども、そんなにすごいことじゃなくても、誰かのいい思い出に残っていることだけでも、それも「生きている」ことだし、思い出してもらえたり、何か残したものを継いで行ってもらえることが「蘇る」ことなのだ、ってのが舞台を作った人たちが『二都物語』から読み解き、観客に伝えたいと思ったことなのだろう、と感じました。
また、ただ生物的に「生きている」ことは、本当に「生きている」とは言えない。生まれてきたからには何かそれぞれの「役割」があって、それを遂行することこそが「生きる」ことなのだ、と。

その感じ取り方にだって、おそらく一つの正解が存在しているわけではないだろうけど、それでも本で読むだけでははっきりと見えてこなかったところを発見させてもらったという楽しみには変わらないし、それがとても今回は楽しかったです。

この作品のおかげだけではなく、6月に受講していたシェークスピアを味わう講座のおかげでそういうところに気がつけたのかもしれないけど(『ハムレット』をいろんな映像作品(舞台も含む)で観、そして先生の解説を聞くことで新たな発見があったのだと、ここへきて実感中)

ともかく、生きることの意味どころか「生きている」という実感すら希薄だったシドニーがルーシーと出合ったことで、人を愛しいと思うことができ、初めて抱いた恋慕の気持ちは報われなかったけれど、その思い自体を否定されなかったことで、彼はきっと初めて「生きている」ってことを感じたのだろう。
そして、彼の大切なもの、ルーシーたちが築き、彼をも受け入れてくれたダーニーたちの家族を守ることが自分の「命」でできると知った時、彼は初めて「生きている意味」を知って生きていたことをよろこんのだろう。

そんな気持ちの動きが丁寧に伝わってきて、ロリーとのシーンは「死を決意した悲壮なシーン」ではなく「生きる喜びを初めて知った、でもそれが同時に「生」の終わりであることはさほどのことではない」といった悲しいけれどすがすがしいシーンで涙が出てしまうのだろう。

悲劇の王子様役の多い芳雄くんが最後に「死」を迎えて終わる作品はこれまでも少なくなかった。けれど、今回の最期はこれまでと違った悲しみよりも充足感からの涙を感じてたと思う。

あ~、それにしてもやっぱり一つの作品を3回は観たいなぁ……ま、諸事情から無理なんだけどね。
[PR]
by a_bear_in_woods | 2013-08-23 11:25 | Theatergoing